フェキューブ

中学生の頃から、印象的な夢を見た時には、出来る限りメモを残すようにしている。

例としていくつか挙げてみることにする。

 

2017/3/?(日付不明)

真壁くん(真鍋くん?)と喧嘩

ヤキモチを焼いてくれないことに対して怒る

初めてちゃんと顔を見る

横並びになると意外と大きい、167cm

 

2016/12/21

取り残される疎外感

8人乗りの車の中自分だけ後ろの座席

母親に誰が一番か聞く

赤ちゃんの頃の写真を並べて、当たり前のように妹を指さされる

「私が初めて(の子ども)なのに」と号泣すると、母親は私が一番だと言い直す

私は「パンダが好きなのは赤ちゃんのときの思い出のせいなのに」とも発言していた

 

2016/9/22

イギリス、複数人でホームステイしている

ホテルのような建物、温泉があるらしい

外に出ると明るくて驚く

それぞれの部屋があった

外に家具が置いてある、夕暮れが美しい

チョコと抹茶の小さいチョコチップでコーティングされたパン

 

2016/4/7

王子が化物から守ってくれようとしていた

勝てそうもなく王子を残して一人で逃げる

フラフラと川沿いを歩いている

なぜか王子がおり、慰めてくれた

学校をやめる最終日、ピザをたくさん頼んでパーティーをすることにした

 

 

真壁あるいは真鍋という名前の男性は知り合いにいないし、2歳頃までは関東に住んでおり、実際上野動物園に何度か足を運んでいる。虚実入り交じっていて面白いが、私の夢に出てきている以上、全て「実」なのだろう。

 

その「知っているはずなのに知らないこと」「知らないはずなのに知っていること」を再現したくなり、大学1〜2年生のときに「フェキューブ」という写真作品を作った。

 

http://fukumarumami.tumblr.com/post/62501013484/フェキューブ-201202-11

fukumarumami.tumblr.com

 

http://fukumarumami.tumblr.com/post/62410840107/フェキューブ-201202-11

fukumarumami.tumblr.com

 

http://fukumarumami.tumblr.com/post/62410472346/フェキューブ-201202-11

fukumarumami.tumblr.com

 

ニコンサロンなどでも展示を数回したが、毎回A3程度の大きさにプリントし、額装せず壁一面に並べた。

当時、こういう「ただのアウトプット」な作品を展示することに対して、恐れを感じなかったのはなぜだろう。

BAU

京都在住の写真家に、鈴木崇さんという方がいる。

大学在学中、師事していた立花常雄先生からご紹介いただき、鈴木さんとコンタクトを取ることができた。

 

Takashi Suzuki | Website

 

神戸大学の前川修教授が受け持たれている芸術学の授業内で、ゲストとして鈴木さんを招くことがあったのだが、ちょうど私がメールをお送りしたタイミングが良かったらしく、こそっと聴講させていただけることになった。

 

鈴木さんのこれまでの作家活動やドイツ(デュッセルドルフ)への留学の話に加え、ベッヒャー派と呼ばれる写真家やその作品の話など、内容はまさに私の聞きたいことばかりであった。

(その頃私はドイツへの留学を検討していたが、金銭的な問題から断念した。)

 

ベッヒャー派 | 現代美術用語辞典ver.2.0

 

授業後、前川先生のゼミ室で作品(卒業制作のプロトタイプのようなもの)を見ていただき、いろんなことを話した。作品について掘り下げていく中で、感情的になってしまう場面があり、鈴木さんにはご迷惑をおかけし非常に申し訳無かった。

 

ちなみに私は鈴木さんの「BAU」という作品が好きで好きで仕方ない。

 

「BAU」はバウハウスのバウ。そのまま「建築」という意味だが(Bauはゲルマン語の古い言葉で、Architekturはラテン語由来の外来語らしい)、このチープなオブジェクト=市販のスポンジの組み合わせがこんなにもかっこよくなるものかと、感動せずにはいられなかった。

 

『これからの写真』展において、畠山直哉氏の「Blast」シリーズの横に展開されていたのも興味深い。

 

これからの写真:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape

 

控えめなサイズでプリントされた大量の写真が壁に整然と並ぶ様は、この仕事に対する受け手の知覚を試されている気がして、その刺激が大変気持ち良い。

 

また、「BAU」の写真集は500ページにもおよび、サイズは130×100×35mm、重量は450gある。写真のサイズは展示されているものとほぼ同寸だ。

手に取ると、手に収まるが故にそれそのものの「もの感」を意識させられる。写真に興味がなくともつい手に取りたくなる、良い装丁だと思う。

みえるもの/みえないもの

中学生の頃に読んだ何かの漫画の冒頭で(確かコミック版「蛇にピアス」だったと思う)、主人公が皮膚の「内側/外側」で「自己/世界」を区別していた。ひねくれていた私は、それを読み違和感を覚えつつも「実直で良い考え方だなあ」と感心した。

 

ただし実際のところ、物理的な「内/外」「他者(あるいは世界)/自己」という区別をベースにして語ることのできるものというのは案外少ない。

(と言いつつ、声が発せられた瞬間にその言葉が自分のものでなくなるような感覚も、自分自身とそれを取り巻く環境の境界が曖昧になる感覚も、私たちは知っている。)

 

そして、この二項対立的な考え方に疑問を呈した哲学者にメルロ=ポンティがいる。

意識と身体、そしてその自覚の問題について、代表的な著作『行動の構造』や『知覚の現象学』などの中で読むことができる。

 

『知覚の現象学』M・メルロ=ポンティ | 現代美術用語辞典ver.2.0

 

2012年、豊田市美術館で「みえるもの/みえないもの(Visible / Invisible)」というコレクション展が開催された。

明確に引用されていないものの、そのタイトルからメルロ=ポンティの著作『見えるものと見えないもの』を連想させられる。

 

常設特別展「みえるもの/みえないもの」 | 豊田市美術館

 

ソフィ・カルの『盲目の人々』や志賀理恵子の『カナリア』など、写真というメディウムを用いた現代美術の作家による仕事が多く紹介されていた。

当時私は大学1年生だったために正しく読み取れた自信は無いが、我々の前に立ち現れる世界について、またその再提示の方法について、丁寧に企画・構成された展覧会だったように記憶している。

 

写真は提示する側も受け取る側も、つい“私”と“世界”という見方に陥りがちである。身体性の介在が見えづらいのが大きな理由だろう。

この時の“私”とはあくまでも「“いま”“ここ”にいる“私(=撮影者あるいは鑑賞者)”」のことであり、その「いま・ここ性」の再現/意識の根底には、無意識的な「“私”と“世界”の断絶」が存在することが少なくない。

 

上村博は著書『身体と芸術』の中で「身体とは、『自分』の意識を実感させる物体を指す」とし、「肉体が他の何らかの物体ではなく、まさに私の身体だ」と感じる状態においては、肉体が自分の意識に結びついていると述べている。

 

身体を「自己と外界とを媒介するメディウムである」とするならば、もちろん境界は肌表面には存在しない。より曖昧で、連続的なものである。

そう考えると、撮影機材を自身の身体に例える写真家を「精神論者だ」と軽蔑していたが、あながち間違いではないのかもしれない。

 

youtu.be

脱走する写真

近頃、学生の頃に読書会で取り上げた「脱走する写真」のことばかり考えている。1990年に水戸芸で開催された展覧会で、森村泰昌今道子、ソフィ・カルなど、現代美術の領域で語られるべき写真家たちがピックアップされていた。

ちなみにこの展覧会が開催された頃、私はまだ産まれてすらいない。

 

中でも三上浩(彫刻家)と達川清(写真家)による「QUAU in photo」という仕事は興味深い。全暗室で石を彫り、飛び散る火花を写真で記録する。そしてその写真をプリントし展示するというもの。

 

三上浩+達川清「QUAU in photo」:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

 

リンク先記事、シンプルに良い文章だなと思っていたら、執筆者が飯沢先生でビビった。

 

それはさておき、(正確には「石を彫る」行為であるのだが)「石を打つ」という行為には、火おこしや石器などの原始的なものを想起させられる。が、それ以前にこれは作品なので、パフォーマンスであるという前提がある。つまり、「石を打つ」という「演技」をしているのだ。

その前提を我々は知っているので、プリミティブな要素に加え、宗教や呪術的な側面を強く意識する。

 

逆説的に言えば、この呪術じみたパフォーマンスをパフォーマンス足り得るものにしているのは、鑑賞者の目あるいはカメラの存在という前提である。

 

カメラを前提としたインスタレーション作品の制作は、「QUAU in photo」以外にも度々現れている。

つまり、MoMAで1978年に開催された「鏡と窓」展などに見られた、『カメラを介し「撮る者/撮られるものを分け隔てる(こちら/あちらの断絶)」という関係』があった時代から、その関係性あるいはカメラという存在を越えていく動きが確かにあったのだ。 

 

それらは、どのようにそれ以前の写真の在り方を裏切り、どのように写真の可能性を前進させたと言えるのだろうか。